ポケモンカード徒然 激動編

 さて、ポケモンカードから一度手を引いた自分ですが、再び手を染めることになります。
 MTGかポケカか、どちらか一本に絞ろうと思ったからなんですけども。MTGは勝つためにはそれはもうカード資産が必要になります。RPGマガジン*1を読んでいたので、デッキの知識はそこそこあったんですけど、いざ組もうと思うとカードがあからさまに足りなくて…。そんなわけで、敷居の低いポケカをやろう!と思いたったわけですね。あとは中学時代の友人であるバーニィポケカをやっていたというのも一因にあります。このバーニィとはアイポケまで続く付き合いとなります。
 さて、ポケモンカードに復帰して、ひとつの事件が起こります。エリカデッキとの出会いであります。…これ以上はこれに関しては詳しく語りませんというか察してくださいお願いしますすいません。…しかしまぁ、なんだかんだで今でもお上品攻撃は良い萌えカードだと思ってます。ええ。


 そして、俺が高校入学、兄貴が大学入学ということで、お祝いに新しいPCとネット環境を整備してもらえました。PCは1台だったので、兄貴が使ってるのを俺が間借りする感じだったんですが、今は懐かしテレホタイム*2にいろいろやってました。
 とりあえず、Yahooあたりで「ポケモンカード」で検索したのかな、最初に見つけたポケカサイトがまこさんの経営する「ポケモンカードスタジアム」さんです。掲示板に挨拶的書き込みをしたんですが、そこはネット覚え立てでしかもリア厨卒業したて。それはもうひどかった記憶が。文章は丁寧語で書いたけど、全く改行してねぇー。…誰しも最初は初心者なのさ。
 さて、ネットにもある程度なれてチャットとかいろいろ手を出してたんですけど、一番熱が入ってたのがネットトレード。ジムシリーズ2弾が発売された頃だったんですが、いらないダブりをだして、強いカードやレアいカードや趣味カード*3を集めてました。ジム拡張2弾が発売された頃なんですが、R団のサンダー、R団のストライクとか、あとはプロモでJR波ピカなんかをトレードで頂いたのを覚えてます。あとだいさんが本名でいろいろ書き込んでたのも覚えてますw
 知ってる人はもう数えるほどもいないでしょうが、一番最初に使っていたHNは「黒の夢」でした。モロクロトリに影響されてますw もっと人っぽくしたいなぁ…と思ったのと、テイルズあたりに影響されたのかな、「りおん」になりました。平仮名なのはリオンだとまんますぎるなと思ったからだと思いますw
 ネットトレードに明け暮れる日々だったのですが、とあるトレード相手が実は同じ愛知県内に住んでいて、近いうちにイベントがあるので参加しませんか?とお誘いを受けました。この頃、バーニィと一緒にポケモンカードファンクラブ*4に載っているイベントに積極的に参加していて、もちろんこの誘われたイベントにも参加することにしました。この時のトレード相手がアイポケにも所属していたナミッコさんで、イベントが「ポケモンの穴」です。


 ポケモンの穴ではいろんな人に出会いました。ポケカ関係者で最も尊敬してる人TENさん、たかせとお兄ちゃん、穴の後いろんなイベントでお世話になったキノさん、今でも付き合いの続く或る君、他にもコレクター仲間やらなんやらかんやら。数え上げればきりがないですね。
 ちなみに、王子ことSINさんに初めてあったのも実はこのイベントです。フリー対戦であんきろさんのページ*5を見て覚えたてのタケキュウロック*6、しかもカードが足りなかったのでMTGの土地カードにマジックでカード名を書いただけという、知らない人相手にとても使うようなデッキじゃないデッキを使うというノーマナーっぷりを発揮してたわけですが、王子の対応は実に紳士でした。しかも俺がカードの効果まで勘違いしてた*7りして、もう悲惨極まりない。こんな出会い方なのに、仲良くしてくれて本当にありがとう。今だから言えるね。
 ポケモンの穴といえば、トレード方法が実に印象的でした。まずトレード希望者が提供カードをスタッフに渡して、希望カードを伝えます。スタッフは会場の人全員に「○○(提供カード)で△△(希望カード)を出してくれる人いますかー」と呼びかけます。あとは呼びかけに応じた人と相談して実際にトレード。何が良いって、実質イベント参加者全員とトレード交渉ができるというところ。ネットトレードもそうですが、このポケモンの穴のトレードでもたくさんのカードを手に入れました。タケシのキュウコン1枚でナツメデッキ1つまるまるが手に入ったのは良い思い出ですw また、後期には「エリカでパソコン通信出してくれる人ー」とか、明らかに特定人物を狙ったトレード希望があったりしましたw


 ポケモンの穴に限らず、バーニィとともに精力的に店舗大会にも参加しました。この頃主に使用していたデッキは、「黎明編」で紹介した種ポケ速攻の改良版(具体的にはR団のサンダーやR団のストライク、ラッキーなどを採用してました)。また、もうちょっと後になりますがプクリン+ピクシー+青バリの無色単色デッキも作ってました。オーキド博士の有効性にも気付いており、4枚いれる勇気はなかったヘタレですが、2枚はちゃんと入れてました。パソ通ダウジング、プラパ、リム、突風…と、ベタながら強力な構成だったため、ほとんど常に店舗大会では上位でしたね。この頃から2位が多かったんですがw この頃は特に全体のレベルが低く、実力の突出した人が勝つという構図が出来ていたと思います。
 常連となるてんとうむしに最初に参加したのもこの頃だったかなー。あなべるると最初に出会ったのがここです。決勝まで順調に勝ち進んだのですが、最後の相手にしてやられました。デッキは至って普通のプクリン速攻なんですが、切り口が新しかった。R団の爆発ジムで相手にダメージをばらまいておいて、突風+プラパでとにかく育てている主力を潰す。R団の爆発ジムってそういう使い方があるんだ、と衝撃を受けましたね。結局2位。この頃から万年二位が板に付いてきてましたw


 で、イベントの他にもうひとつ大きな出来事といえば…。
 高1の夏頃ですね、HPに興味を持ち始めたのは。RPGマガジンで連載していたMTGのリプレイ小説がおもしろくて、「俺もこういうのやりたいなー」と思っていたわけです。そして試行錯誤の末できたのが「ポケモンカードパラダイス」。画像のリンクがPCになってたりと、ぐだぐだなスタートでした。毎日20ヒット前後ながらも、この頃から掲示板はそこそこ盛り上がってた記憶があります。リプレイ小説も、正直今思えば拙いにもほどがあるんですが、そこそこ好評だったかな。この頃はポケモンカードのサイトといえば、トレードや交流がメインだったので、「本格派」を目指していたポケパラは結構珍しい部類に入った気がします。それも集客効果があったのかも。
 高1の冬が(掲示板的には)ポケパラ最盛期でしたね。ポケモン金銀が発売されたこともあってか、1日軽く10を越える書き込みがあって、俺も1つ1つ全部にしっかりをレスをつけてました。TENさん、たかせとお兄ちゃん、コースケ君なんかはこの頃からの常連です。特にコースケ君とは同年代ということもあってか仲良くなりました。彼が開設したサイト、「ポケモンカードゼミナール」の討論掲示板では熱い議論をかわしたり、メールで個人的にデッキの相談などしたものです。それがその後の「裏会議室」に繋がっていくのですが、それはまた次回に。


 年を越して、ポケモンカード★NEOが発売されました。特別企画で参加型リプレイ小説とかやりましたが、途中で放り投げましたね…すみません。何かをやり遂げるって、やっぱりすごいことなんだなぁと思いました。話のネタに詰まっていたのも投げた理由です。ちゃんと練り込まないと駄目だねー。
 NEOといえば、最初は鋼エネルギーの価値がとにかく高騰してましたね。エアームドが先行発表されて「この堅さはやべーよ」とみんなで議論してたのが懐かしいです。NEO発売後すぐの「ポケモンの穴」では、とにかく鋼エネルギー&エアームドが人気でした。悪エネやニューラやピィなど、他の目玉カードはみんな割とスルーでしたね。ピィはピィでもコロコロピィ*8のほうが人気だったりしましたからw ベイビィでは他にタケシのキュウコン対策用にピチュー(ブビィではなく)が人気でした。実際にはブビィのほうが使いやすいんですけどねw このポケモンの穴の帰りに、或る君と「似たような効果だしプクリンとニューラあわせたら強いんじゃね?」と半ばネタで話していたら、実際に強かったという逸話が。ニューラは悪エネ2個が必要ということで、発売当初は割と敬遠されていた感がありました。ミルフィーさんやばいすアニキなど実力者はすでにその強さに気付いていたようですが…。


 NEOが発売されてしばらくたったころ、2月ぐらいですね。ポケモンカードのサイトを回っていたら、ICHIROという名前d「愛知県でジムのHPを開設しました!」という書き込みを見つけました。開設したといっても、メンバーはまだいないし、ジムの名前すら決まってない、そんなページでしたけど。確かプロフィールが載ってて掲示板があるだけだったかな?そんな状態だったので、最初はスルーしてましたね。すごい失礼なんですが、なんかレベルが低そうな感じがしたのでw そのうちに、うちのサイトにも宣伝の書き込みが来ました。その頃は、エルトシャンやマコットさん、だいさん、SINさんあたりがすでにメンバーになっていたので、じゃ俺も入るかなぁー…と思いバーニィや或る君と一緒に入りました。これがアイポケとの出会いになります。(まだジムの名前は決まってませんが)
 ジムの名前をいい加減決めようということになり、何故かポケパラの掲示板でその話題で盛り上がった記憶があります。経緯はあんまり覚えてないんですが、コースケ君の「愛知ポケカネットジム」ですんなり決まりましたね。また、ちょうど同時ぐらいにコースケ君のサイトで「関西ポケカネットジム」が立ち上がってました。コースケ君と仲が良かったので、自然とカンポケとも仲が良くなりました。そしてお互いに遠征しあうようになります。この辺は詳しくは次回に。


 ついにアイポケ・カンポケ時代が幕開けとなった。実力者としての地位を確立し、公式・店舗・オフを含めた大会にとにかく参加をするりおん。果たして優勝できるのか!?…というわけで次回に続きます。いや、優勝できるのか?って結果はみんな知ってるだろうけど。
 ちなみに、タイトルの「ポケモンカード徒然」とは、コースケ君が自分のポケモンカードの歴史を振り返る記事で使っていた名前です。当時を振り返る意味でも拝借しました。
 しかしやっぱり長くなるね。どうでもいいネタも結構書いてるからか。でも全部ひっくるめて俺のポケモンカード史かなと。読む方は苦痛かもしれないけど、あれだ、「文が乱れているが気にするな(byようぜん氏)」

*1:この頃は正式名称TCGマガジンと言っても過言ではない。いろんな記事が載ってた

*2:ISDN回線時代の良き遺産

*3:もはや言わずもがな…

*4:ポケモンカード公式雑誌トレーナーズの前身

*5:ポケモンカードスタジアムと肩を並べてた大手ポケカサイト

*6:基本コンセプトはタケシのキュウコンが悪いラフレシアプテラに化けて場をロック。拡張ゴーストのポルターガイストでひたすら殴る。他にも化ける+特殊能力を使った様々なバリエーション有り。この時代の極悪最凶の類のデッキ

*7:トラッシュから化けてた気がする。ありえねー

*8:NEOピィはほぼウツギ。コロコロピィはマサキ